■ ないしょばなし


● マチスじゃなくマティスなんだ!
 
6月10日の新聞に上野・東京都美術館で開かれていてあの有名な画家の展覧会が紹介されている。僕はその画家を「マチス」と言っていたし以前は「マチス」と書いてあった気もするが(?)違っていたのだ! 確かに発音からすれば「マティス」の方が正しいのだろうが、なんとなく慣れない・・・! 歳だねぇ~
● 今日は6月10日 時の記念日・・ だけじゃない
 
僕の誕生日は6月10日でこの日は「時の記念日」だと思って新聞のタイトルの下をみてもなにも書いてない!
 「えっ!」と思ってパソコンで調べると6月10日は「時の記念日」 「ミルクキャラメルに日」「歩行者天国の日」とある。時の記念日生まれなので遅れたりしないようにしようと思っていた僕としてはちょっと淋しかった!(^^)!

● 染み付いた無意識の偏見
 
このコーナー久しく更新いていないのでだれもみておられないと思いますが、2023年3月8日「国際女性ディー」に朝日新聞に全面広告が載っていて、確かに確かに、と思って・・・。
 目に触れている無意識に使っている言葉がかわることで変わっていくのでは、というような視点から、下のような無意識の偏見の言葉を変える提案が載っていた。
看護婦→看護師 女優→俳優 父兄→保護者 女医→医師 OL→会社員 未亡人 →故○○さんの妻 キーマン→キーパーソン  家政婦→家事代行 嫁・婿→子の妻・夫 サラリーマン→ビジネスパーソン 保母→保育士 主人→夫
 私たちに染み付いた無意識の偏見をまず言葉から変えていく。
 普段使っている言葉が変わることで、無意識の偏見に気づき、変わっていくきっかけになるはず。・・・・
 確かにそうだなあ思って・・・・久しぶりに書きました!

● 挿絵を更新しました
 
あけましておめでとうございます。 久しくないしょばなしもご無沙です。なんだかこれじゃあいけないなあと思いつつも、それが当然のようになってしまっています。
しかもトップの挿絵もご無沙汰でこれじゃいけないなあと思い時には更新しようと思い替えてみました。今年は頑張って時々は更新しようかと思っています・・・、三日坊主かな・・・??

 
● 6月10日は 何の日?
僕の誕生日は6月10日だ。6月10日時の記念日、そんなことで子どもの時から時間は守らないといけないなと思いながら過ごしてきたのだが・・!(^^)!。
ふと新聞の1面の右上「朝日新聞」の下をみたら書いてない! 
えっ!と思って「今日は何の日」で検索してみた。
 すると、6月10日は
時の記念日のほかに商工会の日、路面電車の日、社会教育施行記念日、ミルクキャラメルの日、歩行者天国の日、無糖茶飲料の日、緑豆の日無添加の日、夢の日、谷津干潟の日、ポルトガルの日と、ある。
これにはガックリした! むかしは書いてあったような気がするのだが・・・?
 因みに6月11日(土)は入梅」と書いてある。

● 信用です
 
家具作りに大事なのは、「信用」です。
                           増野 繁治


 宮城県・旧富谷町の
匠は、どんな考えでどんなふうに作っているかを知ってはじめて客は「ここで作ってもらおう」と思うのだという。要は、黙って委せられる人。なれるものなら、優秀な人でも独創的な人でもなく、こんな時あいつがいてくれたらなあ」と言われるような人になりたい。
  同町のブログ「TOMIYAあったか探検隊」(2013年10月10日配信)から
                 
折々のことば 鷲田清一 2403 (2022.6.8)

● 第一生命 第35回サラリーマン川柳 上位10
1位 8時だよ!! 昔は集合 今閉店
2位
 
ウイルスも 上司の指示も 変異する
3位 にこやかに マスクの下で 「うっせぇわ!」
4位 巣ごもりで MからLに 服反応
5位 マスク顔 確信持てず 見つめ合う
6位 マスクとる 緊急事態 ノーメイク
7位 あっ、マスク! 降りた階段 また登り
8位 恋心 マスク外せば 花と散る
9位 デジタル化 しますと紙で 通知する
10位 ズーム中 ペット参加で 盛り上がる
全国からの6万2657句の中から選んだ秀作100句について一般投稿を実施し順位を決めたとのこと。次回からコンクールの名称は「サラっと1句!わたしの川柳コンクール」に変わるとか。

                 

● 真剣に打ち込んでいるときは
 真剣に打ち込んでいるような時は、まず間違いなく呼吸の方はお留守になっている
                                   
三木成夫
 
人は緊張したり集中する時、息を詰める、息を殺す、息を呑む。つまり、人は慢性的な換気不全の状態にあると、解剖学者はいう。だから作業を続ける時にはうまく息を抜き、気を吐かないといけない。 
 それには声を出すのが一番。喋ったり、笑ったり、歌ったり。その意味で、稲刈り
唄や木こり唄といった労働歌は「人類史的な遺産」なのだと。  『生命とリズム』から
            
   折々のことば 鷲田清一 2367 (2022.5.2)

● 「こうすればOk]
 「こうすればOk」を求めるとダメなんじゃないか
                              釈徹宗

 
人生には誰にでも通用する解などないと僧侶は言う。人生はそもそも思いどおりにならないもので、大切なのは「安心して不安になれる、安心して苦しめる」ような場をみんなで創ってゆくことだと。
 加えて、
身を調えることも大事で、漫画家・細川てんてんはそのために「今は・それでいい」とお経のように唱えるようにしているのだという。 
         2人の対話録『生きベタさん』から。

              折々のことば 鷲田清一 2359 (2022.4.22)

● 老いることは
 老いることは、自分の付き合っている他人が死ぬことなんです。他人の死を見送ることです。
                              鶴見俊輔

 
大切な人、親しい誰かの死は、私がその人を亡くすること、いいかえると私が自分の一部を失うこと、つまりはその人に私が死なれるということでもある。
 そのかぎりで自分がずっとかかわってきた人の死は、日づけのある一度かぎりの出来事なのではなくて、喪失という生の体験である。だから後をひく。  哲学者の『神話的時間』から。

             折々のことば 鷲田清一 2351 
(2022.4.16)
● 器用な人よりも
 
頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。
                            西岡常一

 
器用な人は苦もなく先に進んでゆけるので、往々にして「本当のものをつかまないうちに」作業を終えてしまう。反対に不器用な人はとことんやらないと得心できない」から、要所を疎かにせずに熟達すると、奈良の宮大工は言う。
 画家の場合だとたしかに、手がそつなく動く、その器用さを不自由と感じ、あえて利き手とは逆の手で筆を持つ人がいる。  『木に学べ』から
 
               折々のことば 鷲田清一 2346 
(2022.4.10

● 人生を振り返って
 
人生を振り返って、「あれをやった」と感慨にふけるのもいいが、「あれをやらなかった」と誇りにするのもありだと思う
                    
頭木弘樹

 私たちはつい
何をしたか」で人を評価するが、「何をしなかったか」もじつに大切だと”文学者は言う。
 例えば「傷つけなかった、人の上に立とうとしなかった、差別しなかった、欲に溺れなかった」というふうに。 これだけは絶対すまいと、人としての矜持
(きょうじ)守り通すだけでも凄いことだ。ツィッター(2月28日配信)から。
               折々のことば 鷲田清一 2324 (2022.3.19)

● ほな
 ほな
              
 田辺聖子
 「それなら」の大阪弁「ほんなら」の縮約形。別れは運命ゆえ抗い
もできず、良き思い出を胸にこののち幸多き人生を歩まれよ、「たのしい時間(とき)を仰山(ぎょうさん)もろうてありがとさん」との万感込めて、あっさりと「ほな」。
 これぞ人生最上の逝き方と作家は言う。拗
(こじ)れに拗れたあとの恋人との別れなら「また電話するワ」が脂っこくなくていいそうな。 『人生は、だまし だまし』から。
                 
 折々のことば 鷲田清一 2283 (2022.2.4)

● ホモ・サピエンスの語源
唇のまわりに、文化が横たわっている。
                ミッセェル・セール

 
食べる、味わう、話す、歌う、泣く、笑う、愛撫する。口は文化を最も基本的なところで担う器官だ。知性の原型もそこから蠢きはじめる。赤子は物の形状を(かじ)って確かめるし、考えるとはそもそものが、ものごとを吟味する、つまり味わいわけることだ。そしてホモ・サピエンス語源をたどれば「味わう人」を意味する。フランスの哲学者の『五感』(米山親能訳)から。
                   折々のことば 鷲田 清一 2234 (2021.12.16)
 
調べてみると、人間をホモ・サピエンスというが、「ホモ」とは人間 「サピエンス」は知恵のあるという意味。サピエンスとはラテン語のsapio、「味わう」意味の動詞の現在分詞とのこと。

● 懐かしい北海道弁
 
今から30年以上前に札幌にいたことがある。そのとき事務の女の方が純粋北海道弁を話す人だった。ふと、思いだし調べてみたら懐かしい言葉がたくさん載っていた。
めんこい
(かわいい)はんかくさい(ばかくさい、あほらしい)こわい(つかれた、苦しい、だるい)なんもさ~(とんでもない)おばんです(こんばんはちょす(触る)しゃっこい(冷たい)いたましいもったいない惜しい)しばれる(とても寒い)~だべ、とうきび(とうもろこし)ないち(本州方面)ゆるくない(楽でない・容易でない)、・・・・
懐かしいなあ~と思われる方もおられるかと思って・・書いてみました。

                
● 週の始まりは月曜日? 日曜日?
 
部屋の壁に貼ってあるカレンダーは日曜日に始まっているが、僕の机の上にあるノート型のダイアリーは月曜日始まりになっていて土・日で終わっている。
 どちらが正しいのだろうか・・?
英語
を習いはいじめた時の曜日は
sunday monday・・・と 日曜日から曜日を習ったので日曜日始まりなのだろう・・?
 仕事をしてた頃は土曜日も出勤日で日曜日のみが休みだったので日曜からはじまろうと終わりだろうと関係なかったが今は土・日の連休が多いだろうから土・日が繋がっていて月曜日始まりの方が良いだろう。

 
日本に7曜日の概念が入ったのは明治以降なのだろうが、それ以前にも類似のものがあったのだろうが・・・!

● 2021年新語・流行語大賞「リアル二刀流/ショータイム」
今年の世相を反映した新語流行語「2021年新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が新聞にトップ10が発表された。年間大賞は大谷翔平選手選手に関する「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれた。
 トップ10には読んだり聞いたりしたもいくつかあるがどうも世相に疎くなっていて知らないのも多い。どんなものが選ばれたかトップ10を載せておきます。どんな言葉か意味か知りたい方はnetで調べてください。トップ10は次のようなもの。
リアル二刀流/ショータイム(年間大賞) うっせぃわ 親ガチャ ゴン攻め/ビッタビタ ジェンダー平等 人流 スギムライジング Z世代 ぼったくり男爵 黙食

 因みに米辞書出版大手のメリアム・ウエブスターは今年を象徴する言葉として「ワクチン(Ⅴaccine)を選び、「パンデミック(Pandemic)」が選ばれた昨年に続き、2年連続でコロナウィルス関連の言葉だったとのこと。ワクチンはラテン語で「雌牛」を意味するvaccaに由来するそうだ。

すばらしい人体
「何にも考えずに楽な姿勢をとれること」は、健康な人が持つありがたい機能なのである。
        山本健人

 人は自分の全身を見ることができなくても、その容量(ボリューム)は熟知していて、それを動かしたり横たえたりする時も、無意識にいろんな関節や筋肉を操っていると外科医は言う。
 体はかなり重い物体であるのに、眠っている間もたえず寝返りを打って、床ずれしないようにいている。体が黙って判断し動いてくれるから、人は別のことに集中できる。
  『すばらしい人体』から。

                     折々のことば 鷲田精一 2164
● 個人の感想です
「思う」以上の逃げ言葉あるの。なんやと思う?
・・・・答えは「想定外」ちゅう言葉よ
                     尾畑春夫

 行方不明児の救出や被災地支援で
有名な”スーパーボランティア”は、想定外」とは、危険の認識の甘さ、もしくは日頃の点検の怠りの弁明でしかないと言う。
ライターで写真家の白石あづさの『お天道様は見ている 尾畑春夫のことば』から。
 では、このところSNSなどでみかける文末の口上「個人の感想です」は、責任追及をかわす予防線か、それとも捨てぜりふか。
                    折々のことば 鷲田精一 2151


● 100歳以上の高齢者は8万6510人で過去最多最高齢者は女118歳、男111歳
 手帳を見ると「敬老の日」は9月20日とあるのに、それとは別に「老人の日」が
あり9月15日とのこと。ネットで調べてみると平成13(2001)年に制定されたようで9月15日が「老人の日」で、9月21日までの1週間が老人週間
 
その2021年「老人の日」時点で、100歳以上の高齢者が8万6510人、51年連続で過去最多を更新する見通し。このうち7万6450人で全体の約88%を占め、男も1万60人初めて1万台に達する。また、総人口1億2623万人の約0.07%となる。また、最高齢者は女が118歳、男が奈良市の111歳
「へぇ~、そうなんだ」、すごい高齢化社会・日本だな
~・・・。(21.09.15記)
● シンプルさ
シンプルさが逆に内容の飛躍や凝縮を生み、
             美しい力強い作品を生むことができるのです
                                   田畑精一

 絵本は、形式は単純であっても内容まで単純なわけではないと、絵本作家は言う。
削り、切り捨ててシンプルであるのと、凝縮してシンプルであるのは同じではない。
 絵と言葉という「始源」の媒体によるストレートな表現がその力強さの源なのだと。同じことは民話や紙芝居でもいえるし、人の成熟さもきっとそういうこと。
『ありがとう 絵本作家・田畑精一の歩いて道』から。
                   
折々のことば 鷲田精一 2122

● 陽気にならないと
「陽気にならないと、人はいい仕事ができないぞ」
                     ディエゴ・マルティーナ

 
日本文学研究家・詩人が引くイタリアの塗装職人の言葉。一日中マスクをしているからか、それとも世間の空気のせいか、仕事中は鼻歌をほとんど歌わなくなった。
歌は嫌な仕事にものせてくれるし、まわりの空気もほぐす。適当のゆるみがないと、作業も軋んで不快な音をたてる。イタリア人は何より「余裕」を大事にする。無理をするのは御法度。 『誤読のイタリア』から。
                   折々のことば 鷲田 清一 2096

● その日の天使

人の人間には、必ず一人、「その日の天使」がついている。
                                中島らも

 ひどく落ち込み、思い詰めて自死すら考えた時、知人から思いがけない電話が
かかってくる。ふと開いた画集の中の一枚の絵に震える。そんな偶然に救われることがあれば、それがその日の天使だと作家は言う。幼児や酔っ払いかもしれないが、彼らが神の使いとして日に一度、誰にも訪れるのだと思えば、ふんづまりの毎日にも隙間が空く。随想集「その日の天使」から。
                   折々のことば 鷲田 清一 2100

 バスで見た いい景色
 土曜の午後、ニュージャージーで取材を終え、ニューヨークに戻るためバスに乗った。住宅地を抜けるルートで1時間ほどの距離。運転手の近くに座り、フロントガラス超しに景色を楽しもうと思った。
 いろんな人が乗ってくる。30代ぐらいの女性は「財布を忘れた」。40代ぐらいの男性は「間違ってバスにのってしまったので戻りたい」。タダで乗せてくれという意味だが、その理由が本当かは疑わしい。でも運転手は「オッケ―」と即答し、次々に乗せていく。「俺の判断だ」という自信がマスク姿の目にあふれている。目的地の近くで降りたい、と要望した高齢の女性は、特別に停留所ではない場所で降ろした。
 やがて住宅地を抜け、トンネルにさしかかる。抜ければニューヨークだ。すると突然、運転手が歌い出した。乗客も手拍子を始めて盛り上がる。運転席の上部には「バスが動いている時は運転手に話しかけないでください」という注意書きある。
 料金を払うべきだし、停留所以外での降車は危険かもしれない。でも、素早い判断でとにかく物事を前に進め、最後の目的地を前に自ら歌っちゃう。これもありがたいなと思った。良い景色が見られた。(真海喬生)
               「特派員メモ ニューヨーク (朝日新聞)」より

● 天気
 「お天気でなによりです」というように、日本語の天気はそれだけで晴天を表す。英語のウェザーはいくぶん異なっており、もともと暴風の意味を持つという。動詞として使われると「難局を切り抜ける」の意味になる。
 天気とは本来悪いもの。だから積極的に備える。英語にはそんな考えがうかがえると、気象エッセイストの倉嶋さんが書いていた。(『日本の空をみつめて』)
 例年にも増して、備えが必要な今年の梅雨である。・・・・・梅雨を「五月雨(さみだれ」というのは旧暦に由来するためだが、今年は違和感がない。厚い雲に覆われたこの暗さも「五月闇」の季語を使えば、少しは味わいが出るか。<鍵盤に触れし残響五月闇> 何かの楽器に触れるのは、たしかに雨の日のなぐさめとなる。読書もそうだろう。<黴くさき書架より恋の物語>広瀬網子。もまた夏の季語である。じめじめした気分も、小説の世界に入り込めば、いっときは忘れられるか。・・・・(略)
(「天声人語」2021.5.18より かなり割愛しています)

 
● パソコントラブル
今回のパソコン故障、ほんとうにパソコン無知もあって精神的にもまいりました。ぼちぼち書きますが費用の点でもこんなにかかるんだとびっくり。現在はW7を使っているのですが、慣れないW10を薦められまいりました。やっと今までの状態で帰ってきて慣れているのですがそれでも忘れっぽくなっていることもあって戸惑いながら書いている状況です・・・引き続きご笑覧のほど、よろしくお願いします。

● 掘りコタツとルンペンストーブ
 この寒い時期になると、ふと昔の冬の生活を思い出す。
 子どもの頃は和室の中心の半畳の畳をはがし、炭が燃料の「掘りコタツ」が設けられた。そこで勉強もラジオを聴くのもカルタやトランプをするのもおやつを食べるのもその掘りコタツでする。冬の生活の中心の場が掘りコタツだった。 学生時代の下宿生活になると右の写真のような石炭を燃料とするルンペンストーブ。夜になると同じ下宿のM君ともどもK君の部屋に集まりルンペンストーブを囲んで、たわいない話をながながとし過ごしたもので、なんとも懐かしい。
 ルンペンストーブという名称は当時最も安いストーブだったので「ルンペン」と言ったのだろうが、電子辞書で調べるとルンペン(umpen)
は浮浪者、乞食を意味するドイツ語とのこと、今や死語だろう。

● 「明日死んでもいいための44のレッスン」 下重暁子著
「死」は突然やってくる。思い残すことなく旅立つためには それなりの「下準備」が必要です。
1 毎朝、ベッドの中で その日のやることを決める
2 一日一日、やるべきことをやる
3 常に身ぎれいにしておく
4 死に装束を決めておく
5 睡眠をたっぷりとる
6 会いたい人に会っておく
7 新聞の訃報欄を見る
8 いいわけをしない
9 本来の自分の名前にもどす
10うまいものを食う
11お気に入りの食器を使いたおす
12お金は残さず、使い切る
13遺産相続は生前に決めておく
14明日死ぬかもしれないからこそ、今日を楽しむ
15ほんとうに好きなものに囲まれる
16定期的に山にこもって自然に返る
17心を遊ばせるために散歩する
18社会や政治に対し、意見をきちんと表明する
19謝るべき人には、今日連絡する
20人に期待せず、自分に期待する
21自死を頭から否定しない
22恩師を心から敬う
23自分の死のイメージを作る①
24自分の死のイメージを作る②
25死ぬ時が一番個性的になる
26自分をまるごと愛する
27慌てない平常心を保つ
28ストレスを溜めない
29自分を証明するものを持ち歩く
30辞世の句をつくる
31何気ない日常の大切さを知る
32必要とされる幸せを味わう
33自分の死を知らせる連絡リストを作る
34尊厳死について意思を残す
35感謝の気持ちを持ち続ける
36進んで喜ばれることをする
37「もう年だから」といわない
38ユーモアを忘れない
39若い友達を持つ
40体を元気に保つ
41完璧主義をやめる
42仏壇に毎朝手を合わせる
43自己表現を最期までする
44死ぬ時は死ぬがよろし
     新聞に載っていた幻冬舎新書の新刊広告より



● 発出と発令 、そして、宣言
 テレビをみているとコロナ禍に関連して「緊急事態宣言が発出された」といっている。発令でなく発出と言っている。
 僕などは幼い時、戦時下に米軍の飛行機が飛んでいるときサイレンとともに「空襲警報発令」がだされ防空壕に潜ったものにとっては「発出」という言葉は危機感のない言葉のような気がしてしまう・・・。
なぜ発令でなく発出なのかお役所用語にはその区別があるのか・・・? 因みに僕が持っている少し古い新明解国語辞典には「発出」は載っていなかった。
 また、テレビや新聞をみると「緊急事態を宣言する」、「緊急事態宣言を出した」、また、「緊急事態宣言を発令した」など、色々の表現がされている。

● 丸もち、角もち 全国分布図
 あけましておめでとうございます。柴崎友香さんが朝日の「季節の地図」のなかで東京在住のようで「まだ丸餅がまだ調達できていない。」と書いておられた。
 今は大阪に住んでいるが、山口や札幌などにも住んでいたので地域によって丸もち・角もちと、雑煮もすまし汁と味噌仕立てと地域によって違っているのを実感していたのでネット調べてみた。農林水産省のHPにわかりやすい分布図があったので載せておく。
 北海道が表示されていないのは明治以降いろいろの地域から住み始めたので先祖が住んでいた地域のもちの形を今も引き継いでいるので家庭ごとに違うからだろうと思う。
 

 「鬼は外~、福は内~!」 節分は2月2日、豆まきに気を付けて!
 朝日新聞によると、豆まきをする節分は2月3日が続いていたが、今年、2021年は1897年(明治30年)以来124年ぶりに2月2日になるとのことだ!
 節分は二十四節季の一つ「立春」の前日立春は春分や秋分とともに太陽と地球との位置関係で決まる
 国立天文台によると、地球が太陽を1周する時間は365日より6時間弱長い。4年で約24時間弱のずれが生じるため、うるう年として2月29日を入れて解消しているが、これだと45分ほど増やし過ぎてしまう。
 400年でほぼ3日増えるため、「グレゴリオ暦」はうるう年を400年で3回減らすことにし、100年で割れる年はうるう年にせず、400で割れる年をうるう年のままとした。この結果、2000年のような400で割れる年の前後の世紀は、節分などの日付がずれやすくなった、とのことだ。


 三密
 今年の流行語大賞は三密、「密閉・密集・密接」だった。朝日の12月25日朝刊に五木寛之さんの寄稿「夜の世界には もどれないから」のなかで三密について書いておられた。
 「・・・。新型コロナの流行以来、「三密」という言葉が忌むべきものとして喧伝(けんでん)されてきた。しかし、「三密」とは、仏教用語として長く大事にされた言葉である。
 もともと密教系の言葉だが、それだけにはとどまらない。「身・口・意」の三つの世界は、「からだ」と「ことば」とこころ」と読みかえてもいいだろう。法然の口称念仏にも、親鸞の信心為本にもつながるものがあると私は思っている。」

● 助けてほしい
助けてほしい時には、“軽率”に「助けてほしい」と言うのです。
                              築地静香

 
 現代人は「自己責任」という言葉に縛られ、一人で頑張ろうとばかりして、人に助けを求めるコツを知らない。「一人じゃ無理」と感じたらすぐに声を上げること。「軽率な救援要請」にはかならず誰かが「軽率」に応えてくれると、京都の映画館・出町座内のカフェの店長は言う。助けあいはついでかはずみでやるほうが長続きする。
                 求人誌「おっちゃんとおばちゃん」23号から。


                     折々のことば 鷲田 清一 2020

● 2020年の新語・流行語大賞は「3密」
今年2020年の世相を反映した言葉、「現代用語基礎知識」選の「2020年ユーキャン新語・流行語大賞」が発表された。
年間大賞は3密、トップ10は愛の不時着あつ森(あつまれ どうぶつの森)、アベノマスクアマビエオンライン○○鬼滅の刃GoToキャンペーンソロキャンプフワちゃん、だった。

 「3密」は小池都知事が連呼した「密閉・密集・密接
アベノマスクは使っていたので知っているが、他は知りませ~ん・・・流行に追いついていないようです・・・・。

● 夕焼け
   一分後れました、夕焼け少し駄目となりました。 
     なんぼ気の毒

                                      小泉八雲

 日本国籍を取得し、小泉姓を名のった作家ラフカディオ・ハーンは、大好きな夕焼けが見えると急いで家族を呼び、おちゃめにこう告げたという。妻や子供が、筍(たけのこ)が頭をもたげた、黄色い蝶(ちょう)を、蟻(あり)の山を見つけたと、さも「大事件のように」騒いでいると、八雲も満面に笑み。
 一人の小さな喜びが波紋のように広がる。いいな、こんな家族。妻・節子が綴(つづ)った『思い出の記』から。

                   折々のことば 鷲田 清一 1962

 のぞみ ひかり
  のぞみはありませんが
  ひかりはあります
               新幹線の駅員さん


 
千葉・本妙寺の掲示板にあった言葉(江田智昭著『お寺の掲示板』所収)。臨床心理家・河合隼雄が残したジョークから引かれた文言。
 河合が新幹線の切符を買おうとしたら、駅員にこう言われた。瞬間、この言葉の深い含蓄に感激し、同じ言葉を大声で返すと、駅員は「あっ、『こだま』が帰ってきた」とつぶやいたという。
 希望をなくしても仏様の光はずっと人を照らしている。
 
                   
折々のことば 鷲田 清一 1934

● 緊急
きんきゅう【緊急】―処置、―事態、―逮捕、―避難のように用いられるが、たいていはうろたえていて大事や失敗に終る。
                
          (筒井康隆)


 作家による『現代語裏辞典』の一項目。「募集」には「まず詐欺を疑うべし」とあるが、「募っているが募集はしていない」という趣旨の発言をした人は、この項にあらかじめ目を通していたのかも。「適材適所」には「気に食わない奴(やつ)が左遷された時の憎まれ口」とある。この辞典、10年前に公刊されている。鋭い風刺は時代を跨(また)ぎ越す。

        
                  
 折々のことば 鷲田 清一 1912

● 能ある鷹は
能ある鷹(たか)は爪を隠す
                 (ことわざ)

           
 ほんとうに実力のある者は、いざという時のために密(ひそ)かに技を磨いており、それを無闇(むやみ)にひけらかしたりはしないものだ。だからその地力をあなどってはならない。もしこのことが真であれば、逆に、能無しは爪をこれ見よがしに立てるか、あるいは攻撃を怖(おそ)れ、物陰に潜む。しかもそれを同時にやる人もいる。魂胆は見え透いても、それが通ることがあるから、世間は不気味。

                        
                    折々のことば 鷲田 清一 1899


● かたちのきれいな
かたちのきれいな松ぼっくりだけ選んじゃだめよ。かたちの良くないのだって、面白いんだから。 
                        万年山〈まねやま〉えつ子

  丸木美術館で長く工作教室を担当した画家の万年山は、「原爆の図」を夫・位里(いり)と制作した丸木俊(とし)からこう学んだと言う。ぺしゃんこの空き缶だって、道に捨てた人と車で轢(ひ)いた人と拾って工作する人の共同作品なのだと。人が選ぶことの不遜をふと思う。
 岡村幸宣(ゆきのり)の『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011―2016』から。

            
                    折々のことば 鷲田 清一 1851


● 神という字は
神という字は「ネコ+1」
              
江坂 遊

「神」という字は、「ネコ」と長めのプラス記号と「1」に分解できる。猫は「神に近い存在」らしいと、猫をめぐる短編集『猫の扉』を編んだ作家は言う。その理屈でいえば「犬」は、「人」とマイナス記号と「、」からなる。では人からどんな「、」を外すと「犬」になるのか。 読点だから一息つくこと? 逆に一点集中? でもどっちも犬のほうが得意そう。人は別格な存在ではないらしい。
                    
折々のことば 鷲田 清一 1793
● 学校での鉛筆は2Bが主流
 新聞によると、学校では子どもたちはHBの鉛筆を使っていたようだが最近は2Bを使うことが多いそうだ。その原因は子供たちの筆圧が弱くなりHBだと先生たちが読みづらいためのようだ。 
事実、三菱鉛筆では出荷ベースで1994年には
HB46%、B22%、2B19%だったが、2014年には2B44%、B21%、HB20%と順位が変わったそうだ。
 ただ、中高生が多く使うシャープペンシルの場合は事情が異なっていて、ぺんてるでの替え芯の出荷額(2018年)はHB約60%、B約30%、2B約10%。2Bの割合が増えとぃるもののまだまだHBが主流のようだ。

● 絵を描くときどんな鉛筆を使っていますか?
 ふと思い出したのだが、卒業して入社してびっくりしたのは上司がトレーシングペーパーに図面を引くとき黒の三菱の色鉛筆ポリカラーをくるくると回して線を引いていたことだ。ポリカラーをクルクルと回して線を引くと線の太さが均質になり、色鉛筆なので擦っても図面は汚れなし手も汚れない。これには感動しみんな見習ったものだ。
 そんな経緯もあってか僕は絵を描くときも色鉛筆ではないが粘り気のある鉛筆を使っている。2,3年前まではブルーのボディのステッドラーの8Bを使っていたが今はさらに粘り気のある黒のボディの8Bを使っている。これは粘り気があり消しづらいが手は汚れないし水彩絵具を塗っても色も線も汚れないしお気に入りだ。


● コロナ用語集
テレビをみてると聞きなれない言葉がしばしば出てくる。こういう機会でなければ聞かれなくなるだろうと思いメモっておくことにした。
コロナウィルス
コロナcorona)は、太陽の外層大気のもっとも外側にある希薄なガスの層のことで、皆既日食のとき、太陽の周りに真珠色の淡い光がみえる。
コロナウィルスはその太陽の光冠(コロナ)のような外観からなづけられたウィルス。
パンデミック pandemic
病気の広域的世界的な大流行。この言葉はギリシャ語の「パン(あまねく)」と「デモス(大衆、人々)」の合成語。
クラスター cluster
房、集団、群れの意から小さな感染集団のことを言っている。
PCR検査
微量の検体を高感度で検出する手法でポリメラーゼ連鎖反応 (olymerasehain eaction)の頭文字をとったもの。
オーバーシュート over shoot
今回のコロナ騒動では感染者の爆発的急増に意味で使っているが、有価証券の価格の行き過た変動のことに使われているようだ。
ロックダウン lockdown
公共施設などで内部の人間の安全確保のために建物を封鎖すること。また、緊急事態において人の移動や情報を制限すること。今回は「都市の封鎖」という意味で使っているようだ。

濃厚接触
感染症患者に接触することをいうが、今回の新型コロナウイルスに関連しては、①患者と同一の住所に居住する人、②必要な感染予防策なしでの診察、処置、搬送などに関わる医療関係者、のほか患者のすぐそばで会話した人も含まれる。
検査難民
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない日本で、検査を受けたくても受けられない人たちのこと

コロナおばさん
テレビのコロナ騒動によく解説者として登場している女の方を僕はコロナおばさんと呼んでいる。だんだんおしゃれに、きれいになっておられる。しかし、最近疲労気味のようで・・少し心配です

河野太郎防衛相が横文字専門用語を多用していることに批判したとのこと。「日本語で言えることをわざわざカタカナで言う必要があるのか」、「わかりやすく説明するのが大事」とおっしゃったそうだが全く同感。
まあ最近の新聞にはやっとカッコ書きで日本語訳を載せてある。


追記:
今後も次々とコロナ新語が登場しているので追加しメモっておく

・コロナショック
感染は「三つの密
」で
コロナの感染は密閉空間密集場所密接距離で起こるから避けろということ。家庭に密閉されている子どもはコロナ鬱(うつ)になり、親はコロナストレスに・・・
・入社式は分散、1.5メートル間隔、ネット式辞
・オンライン授業
・院内感染
アベノマスク :一世帯に1枚200円の布製マスクを2枚配る。3人世帯はどうなるの?・・・という疑問もあるとか。アベノミクスのあとはアベノマスク
マスク戦争 欧米諸国間のマスクとりあいの戦争
・朝日新聞は「新型コロナ面」を4月5日から開始
医療崩壊 コロナ不況NYでは「命の選別」も必要にFake(デマ)の拡散
5月の連休はオンライン帰省オンライン飲み会 
オンライン診療

・越境パチンコ
英語好きの小池おばさんは「STAY HOME!」と 近くのおばあさんは「連休には み~んな家にいいんさ~い!」と

● 「音楽の力」は恥ずべき言葉、一番嫌いな言葉 坂本龍一
 日本社会ではとりわけ近年、メディアなどが「音楽の力」という言葉を万能薬のように使う傾向がある。
「災害後そういう言葉、よく聞かれますよね。テレビで目にすると、大変不愉快。音楽に限らずスポーツもそう。プレーする側、例えば、子どもたちが『勇気を与えたい』とか言うじゃない?そんな恥ずべきことを、少年たちが言っている。大人が言うのをまねしているわけで。僕は悲しい」
 音楽の感動というのは「基本的に個人個人の誤解」だとも語る。「感動するかしないかは、勝手なこと。ある時にある音楽と出会って気持ちが和んでも、同じ曲を別の時に聞いて気持ちが動かないことはある。音楽に何か力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい。」
 では坂本は、何のために奏でるのか。
「好きだからやっているだけ。一緒に聞いてくれる人がいれば、楽しいんですけど、極端に言えば、1人きりでもやっている。僕は他にできることはないんです。子どもの時からたった1人でピアノを弾いていた。音楽家ってそんなもので、音楽家が癒してやろうなんて考えたら、こんなに恥ずかしいことはないと思うんです」 (河村能弘)
 朝日新聞に上のような小さな記事が載っていました。

● ディテールがいい加減
東京を舞台にして映画をつくるのはめちゃくちゃ難しいし、モチベーションがわかない。

                                 押井守

 東京はずっと、利便性しか視野になかったんじゃないかと映画監督は言う。だから「象徴」もぶらつきたい場所も減る一方。
 欧州の都市は昔の街並みを丁寧に復元するが、東京は「ディテールがいい加減」。だから撮っても噓(うそ)っぽくなる。細部にこそ民衆の生の根っこがあるのにと。
〈今なぜ東京に「そそる」モニュメントがないのか〉(聞き手・五十嵐太郎、「中央公論」2月号)から。
                     
           
               折々のことば  鷲田清 1719

● 美味の極み
 新鮮に勝る美味なし。

           北大路魯山人

 美食家でもあるこの陶芸家のおっしゃることに異論はありません。
でも、冷蔵庫を開けるとやはり古いものから順に食べる。それに、美味の極みを知るまでに人はひどく遠回りをする。甘辛から酸味、苦味を経て、発酵や毒の味まで愉(たの)しむ。
その果てに気づく。手を加えぬ〈生(き)〉こそ最良と。
真理に到(いた)るまでの人のこの空しい求道が、やるせなくも愛(いと)おしい。
                       『魯山人の食卓』から。

                      折々のことば  鷲田清
 1700

● さ、ひっくり 返そう-2
住まいは田舎がいい、森と日溜(ひだ)まりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内はいます

              森博嗣(ひろし)

 短編小説集『虚空の逆マトリクス』に出てくる回文。昨今の私たちの気分を浮き立たせてまことにお見事。押韻や駄洒落(だじゃれ)から語呂合わせ、逆さ読み、早口言葉、尻取りまで、言葉で遊べるのは言葉がそもそも何かを別次元にずらすものだから。遊びとしても愉(たの)しいが、ときに時代の「あたりまえ」を激しく揺さぶる遊びともなりうる。
                      折々のことば  鷲田清 1698

● さ、ひっくり 返そう
大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。


下から読むと逆転劇がはじまります。
お正月の新聞のそごう・西武の広告に、幕内最小力士・炎鵬の写真とともに上のような
ものが掲載された。(関西の新聞には載ってなかった?)

● おめでとうございます
 おめでとうございます。今年もよろしゅうお願いします。ぼけますからお願いします。
                                     信友直子の母

 ドキュメンタリー番組制作者の母はよく冗談を言って周りを元気づける人だったが、認知症が昂(こう)じ、「迷惑をかけている」との責めと絶望とその繕いに苦しんだ。
 が、それもすぐに忘れる。そんな葛藤を笑みを絶やさず見守る夫と娘のおかげで、「自虐的なユーモア」が回復してきた。そして新年、「今年の抱負」をこう口にした。
 映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」から

                           折々のことば  鷲田清 1686
● 
戦後というコトバ
 「戦後」というコトバを使える間だけが人々は幸福なのです。

                                          野田秀樹 

 〈でなければ、「戦前」か「戦中」というコトバを使うことになるのですから〉と続く。
 劇作家・演出家が近作「Q : A Night At The Kabuki」の公演パンフレットに載せた吉永小百合宛ての手紙から。
 野田は、やはり「戦後」から見た「戦争」にこだわり続ける彼女に、こう思いを綴(つづ)る。煙たがられても、「戦後」を「しれっと、さらっと、でいながら突き刺すように」描きたいと。
           
               折々のことば  鷲田清 1677
● 楽しくなくても楽しげに
 
楽しくなくても楽しげに生きるのが、早く死んだ人への感謝で供養じゃないかしら。
                             樋口恵子

 齢(よわい)87になる評論家は「満身疼痛(とうつう)」。が、老いは一色でなく「二番底、三番底があり、底の底までいっても、その人らしい人生を求め、懸命に生きる先輩たちに心動かされ」ると言う。
 「楽しくなくても楽しげに」というのもその一つ。自分の長生きも、大勢の先輩が戦争で落とした命を礎として長く続いた平和のおかげだと思うと、つゆ疎(おろそ)かにできないと。『老~い、どん!』から。

                           折々のことば  鷲田清 1673

 透明な被膜
 透明な皮膜は生鮮さを保つという本来の機能よりも……均質さの確保という点にはるかに大きな役割を与えている。
                            伊東豊雄

 

 コンビニの食品は透明ラップで被(おお)われている。指先が触れるのは食品ではなくこのラップ。すべての食品が名称と価格で「並列」する。
感覚の触手が世界を探りだすのを禁じるかのように。
都市のビル群も同じ。見事に「土地から離脱」していると建築家は言う。
     「サランラップ・シティの建築風景」(「現代思想」1992年9月号)から。
                           折々のことば  鷲田清 1652   

● 関西人の挨拶

 
ごきげんさん
               関西人のあいさつ

 「おはようさん」もそうだが、関西人は「お疲れさん」と人をねぎらう時にかぎらず、挨拶にも「さん」をつける。そういえば京都の人は「お揚げさん」「お芋さん」と食べ物にも「お」や「さん」をつけるし、家族のことも、いや飼い犬のことだって、「今、寝たはる」というふうに敬語で語る。ひたむきに生きる者どうしの共感からか、意外に〈個〉の意識が強いからか。
                         
折々のことば  鷲田清一 1660

● 蜘蛛の糸
 蜘蛛(くも)が上れば蜘蛛の糸は残らない。あえかな糸のひとすじの残光だけ、そこにある。
                                   小池光


 体内から分泌した粘液で糸を縒(よ)って、精緻(せいち)な網を編み、ひっかかった虫を捕食する。蜘蛛のその姿に、「ものを食うとはかくも苦心のいることか」と、歌人は「身につまされ」る。しかもそのか細い糸の大半を、蜘蛛はふたたびきちんと体内にしまい込みつつ、姿を消す。なんと折り目正しい生き方、気品のあるふるまい!   詩歌に詠(うた)われた動物をめぐる随想集『うたの動物記』から。


                         折々のことば  鷲田清 1659

● メガネザル
メガネザルは目玉が大きすぎて動かせない
                『ざんねんないきもの事典』から
                  
 でも多くの光を集められるので夜に活動できる。
カメムシを閉じ込めると自分の臭いがくさすぎて気絶する(だから敵も近づけない)。
オオアタマガメは頭が大きすぎて甲羅に入らない(だが、甲羅が軽いぶん逃げ足も速い)。
 どんな生きものも自分の能力と環境との不均衡を測りかねつつも、なんとか辻褄(つじつま)を合わせ生き延びてきたのか。
                事典の監修は動物学者・今泉忠明による。
                        
                         折々のことば  鷲田清一
 1645

● 日本語と韓国語で意味が異なる主な単語
 日本語の意味
カッコ内は
韓国語の発音
韓国語の意味 
外国人が日本に好意をもつこと  親日
(チンイル) 
日本統治時代の対日協力者 
 誰からもよく思われようとふるまう人 八方美人 
(パルバンミイン)
なんでもうまくできる人 
 夫や妻以外の特別な関係にある異性 愛人 
(エイン)
恋人 
 夜間の勤務 夜勤 
(ヤグン)
残業 
洋服   洋服
(ヤンボク)
 男性のスーツ
 病気がちの弱い体 病身 
(ピョンシン)
 間の抜けた人
国内と国外  内外 
(ネーウエ)
 夫婦
 色々と考えてよい方法を生み出す  工夫
(コンブ)
 勉強
明鏡国語辞典(大修館書店)、日韓辞典(小学館)などからよく使われる意味
これはかなり以前「日韓漢字摩擦」というタイトルで新聞に載っていたものです。最近日韓摩擦が話題になっているので、こんな漢字でも意味が違うのだから…と思って載せてみた。

● 写真と絵

 1971年に最初にアマゾンに行く前に、朝日新聞の出版写真部長を務めた秋元啓一さんからレクチャーを受けました。開高健さんと一緒にベトナムに行った方です。覚えているのは二つ。「驚いたり感動したりした時に、感動していないでシャッターを押せ」、それと「撮ろうと思った距離から一歩前に踏み出せ」でした。

 写真は、記録として残しておきたいと思って撮ってきました。ただ、絵を描いていると人が寄ってくるけど、写真を撮ろうとすると逃げていく。常に壁になるから、僕がもし絵を描けていたら、写真は撮っていなかったと思います
         語るー人生の贈りもの-11 探検家・医師 関野吉晴 朝日新聞


● 最初の線
最初の線は生きています。だから消してはいけません
                         
図工の先生
 山登りの途中、立ち止まってスケッチをするのが好きな編集者・若菜晃子は、小学生の時、図工の先生によくこう言われた。ものをよく見て最初に手先が動いた瞬間の小さな発見を大事にしなさいと。例えばはじめて職場に立った時の微(かす)かな違和感も、組織の抱える問題点を言い当てていることがある。その小さな芽をすぐには摘まないように。随想集『街と山のあいだ』から。

                         折々のことば  鷲田清一

●男(女?)がよろこぶ褒め言葉 「さしすせそ」
さ: さすが! 最高だね!
し: 知らなかった! 信じられない!
す: すごい! 素敵!
せ: センスいいね! 誠実だね!
そ: そうなんだ! そういうことなんですよね

ダメな「たちつてと
」もあるようで、たいしたことないね、ちがうんじゃない?、つまんないね、 適当でいいんじゃない、とんでもない、もあるようです。

● 2019年ユーキャン新語・流行語大賞 トップ10
「2019年ユーキャン新語・流行語大賞」が12月2日発表された。
年間大賞には、自国開催のラグビー・ワールドカップで初の8強入りした日本代表のスローガン「ONE TEAM」が選ばれた。
ONE TEAM
・計画運休
・軽減税率
・スマイリングシンデレラ/しぶこ
・タピる
・♯
kuToo
・○○ペイ
・免許返納
・闇営業
・令和


● 歳をとるって
「あなた、歳をとるってどういくことかわかってる?
  ・・・・もう人から年齢しかきかれなくなる、ってことよ」
                    ある有料老人ホームの入居者

どんな人生を歩んできたか、何に関心があるかなど訊(き)かれず、「お元気ですねえ」と言われ続けるうち、しまいに腹が立ってきたという女性のぼやきに、ノンフィクション作家の久田恵は不意をくらった。
 人はつい他人をカテゴリーにあてはめて見、その人自身を通り過ぎる。
          久田+花げし舎編著『100歳時代の新しい介護哲学』から。
                         
折々のことば  鷲田清一

● 甲子園の名前の由来は?
甲子園球場が完成したのは大正13年(1924)年。この年は十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の順列)と十二支のそれぞれ最初にあたる「(きのえ)」と「(ね)」が60年ぶりに重なる「甲子(きのえね)」となっていた。
これが縁起の良いことだとして、その周辺の地域の名称を「甲子園」、球場名を甲子園球場(当初は甲子園大運動場)と命名した。


● 北海道ではなく「北加伊道」  アイヌへの敬意と配慮
かつて蝦夷(えぞ)と呼ばれた地が、北海道と命名されて今年で150年目名付け親は、幕末の探検家、松浦武四郎です。松浦は伊勢(三重県)出身で、ロシアの脅威が迫る北方の実情を調査しようと自ら蝦夷や千島、樺太を探検しました。

 維新後、蝦夷の事情に詳しいことから、明治政府の一員になります。北海道庁などによると、蝦夷は異民族を意味するため明治政府は新名称を審議。その際、松浦は古典やアイヌ語などから幾つか考案し、最も推したのが「北加伊道(ほっかいどう)」でした。

 先住民のアイヌの人々はお互いを「カイノー」と呼んでいました。松浦はアイヌの長老から、「カイ」はこの土地に生まれた者、「ノー」は尊称であると聞きました。また、熱田神宮の歴史を記した「参考熱田大神縁起」には「東国で暮らす人々は自らの国を加伊と呼ぶ」とあり、北加伊道こそ、この大地にふさわしいと考えたのです。
 結局、王政復古を掲げた明治政府によって、律令時代の七道にならい、水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)らが唱えていた「北海道」と定められました。1869年8月のことです。松浦は国名(振興局、総合振興局の原形)や郡名の選定にも関わっており、それまでの貢献によって命名者として名を残しました。

 高瀬英雄・松浦武四郎記念館元館長は「北加伊道という名称には、アイヌへの敬意と配慮が込められていたと思います」と言います。「北海道は彼の本意をくみとったものではありませんでした

 高瀬さんによると、松浦は当時の日本人のアイヌ民族への差別、横暴といった非道さを告発しました。しかし、明治政府は無視し、「差別政策は残したままで、アイヌと協力しようとしませんでした」と言います。

 松浦は政府の役人をわずか半年余りで辞しました。その後、著書などでは皮肉をこめ、「馬角斎(ばかくさい)」と名乗ったそうです。
 (中島克幸)
朝日新聞 「ことばの広場 校閲センターから」 より

● サッカーと呼ぶ国は少数派
 サッカーWカップロシア大会が始まっていてテレビでも新聞でも大きな時間、紙面を占めている。子どもの頃はサッカーと言わず蹴球と言っていたが、いつごろからかサッカーと呼ぶようになったのか知らにない。
 国際サッカー連盟(FIFA)に加盟する国・地域の約9割は「サッカー」ではなく「フットボール」と、その国の言葉で呼ぶ。「サッカー」は米国など少数派だ。
 19世紀、イングランドで協会をつくり「アソシエーション(協会式)・フットボール」に。ルールを統一しことから英語のAssociationの「soc」からサッカーが派生した。
 慶応大では古い発音の「ソッカー部」が正式で、ラグビーが「蹴球部」を名乗る。東大や早大ではサッカー部は今も「ア式蹴球部」、筑波大はサッカーが「蹴球部」など今でも漢字名称を使うクラブが少なくない。
 これは戦時中に欧米から入ってきた言葉を、ラグビー・フットボールを闘球、アメリカンフットボールを鎧球
(かいきゅう)。ホッケーを杖球じょうきゅう)、アイスホッケーを氷球ひょうきゅう)など、欧米の言葉を漢字化したことによる。
 そして今でも五輪競技なら野球卓球水球と漢字の名称がつかわれている。また、「野球」と最初に言い換えたのは鹿児島市出身の教育者、中馬庚だとか。
(朝日 「いちからわかる!」より)


● レンジの「チン」 沈するかも
 おままごとは、子どもの遊びの定番。その様子を観察していた小櫃(おびつ)智子東京家政大准教授(保育指導論)が気づいた。
「あれ? チンって言わないんだ
 電子レンジを使って調理が完成すると、「ラララ~」と子どもがメロディーを口ずさむ。今時のレンジは「チン」ではなくメロディーを奏でる。子どもたちはそれを口まねしているのだ。その話を聞いて「うちのレンジは旧式だからチンだけどなあ」と答えたのだが、果たして家で確認してみると「ピー、ピー」。無味乾燥な電子音。「あらら、毎日使っているのに……」。無意識のうちに「チン」がすり込まれている。

 広辞苑は2008年発行の第6版で「ちん」を載せた。ほかの辞書にも多く採用されている。文化庁の13年度「国語に関する世論調査」でも「チンする」は、90・4%が「使うことがある」日常の言葉だ。

 ところが、ままごとを楽しむ子どもたちにとって「チンする」は、すでに死語だ。将来、辞書から外すこともありうるのか。「下駄(げた)を入れなくても、下駄箱という言葉は残っている。レンジでチンをレンチンともいう。しばらくは重宝されそうです」と三省堂の辞書編集者奥川健太郎さん。

 下駄はモノとして残っている。一方、「チン」はモノとしては残らない。使い勝手のいい言葉だけれど、音が消えれば「チン」は沈するかもしれない。最新のレンジにはギター音が組み込まれているとか。

  (朝日新聞メディアプロダクション 前田安正)
 新たに始まった 朝日新聞 「ことばのたまゆら」より


● 純喫茶
 気がつけば、街から「純喫茶」が消えていた。「純喫茶」という実体どころか、名称としての「純喫茶」も消滅してしまったらしい。若者に聞いても、みんな「純喫茶」なんて知らない。
私が学生だった1970年代には、街中のいたるところに「純喫茶」があった。純喫茶だけでなく、名曲喫茶やらジャズ喫茶やら同伴喫茶やらが街にあふれていた。つまり、今から何十年か前には、喫茶店には「純」とか「名曲」とか「ジャズ」とか「同伴」とか、必ず別のことばが冠されていたようだ。純喫茶「憩い」名曲喫茶「田園」ジャズ喫茶「ブルーノート」同伴喫茶「アムール」等々、冠されたことばと店名のバランスも絶妙だった気がする。
 ところで、純喫茶の「純」というのは何だろうか? 名曲やらジャズやら同伴やらは、それを売り物にする店なのか、ということは一目でわかる。しかし、純喫茶の「純」の売り物は何なのか?「純潔」「純情」「純粋」「純然」等々、純のつく熟語を並べてみる。意外とどの熟語も意味が濃密で面白い。「純潔」とか「純情」とかも、久しぶりに見た熟語の気がする。反射的に「不純異性交遊」等という言葉も頭に浮かぶ。
・・・(以下 略)
 藤原龍一郎(歌人) わたしの「もったいない語」辞典 中公文庫 より)


● もったいない語
 先日近くの本屋に立ち寄った時、つい目に入ったのが中公文庫の『わたしの「もったいない語」辞典』。ぱらぱらとめくると懐かしいことばがたくさん並んでいてついつい買ってしまった。
遊びましょ、唄、縁側、お茶目、銀幕、子守唄、純喫茶、ちゃぶ台、ドーナツ盤、床の間、二枚目、ハンサム、鼻紙、一っ走り、ひ・ふ・み・よ、文通、まんまんなか、夜汽車、よそ行き、夜なべ、路面電車 etc ・・・

「今はあまり使われなくなって”もったいない”と思う言葉=もったいない語、を挙げ、自らの体験談と想いを綴ったもので、読売新聞・金曜夕刊欄に掲載されたものとのことだが、あなたにとってのもったいない語は・・・?


● 銀幕 - 
映画へのロマン想起
 (略)・・銀幕とは映写幕、即ち映像を映すスクリーンの意味で、かってはアルミなど銀被膜を塗ったものが多かったため、米国ではsilver screenと呼ばれ、日本ではそのまま”銀幕”と直訳された。
 そのうちこの言葉は映画そのものの意味として使われるようにもなっていく。しかも「銀幕の恋人」「銀幕への憧れ」などなど、この言葉を使うときは、どこかノスタルジックなロマンを想起させることが多い。
 しかしながら、映画をめぐる環境がめまくるしく変化していく昨今、特にフィルムからデジタルへと撮影・上映方式が大きく変貌し、ともすれば映画のノスタルジーまで薄れつつある中、銀幕なる言葉を見聞きする機会もめっきり減った。・・・・
 今、映画を見る手段は映画館やテレビ、パソコン、スマホまど多岐にわたるが、私自身は映画館などで鑑賞する行為を、いつしか「銀幕で見る」と言うようになっていた。そのつど、自分が映画を見始めた少年時代に想いを馳せることができるのが不思議なほどだ。 増党竜也(映画文筆家) わたしの「もったいない語」
辞典 より 

● 雪やこんこん
雨は「しとしと」降る。風は「びゅんびゅん」吹く。では雪は。「しんしん」か。いやいや「こんこん」だろう。<雪はこんこん>と歌うではないか。そう思われる方もおられるか。しかし、こんこんの意味には諸説あるようだ。
 国語学者の岩井勲夫さんが、「こんこん」を擬態、擬音語と考えていいのか、と疑問を呈している。「雪や」と呼びかけているのだから、「来む来む」が正しいと。なるほど「雪よ降って来い」の意味だと思うと、雪だるまや雪合戦に興じる子どもの実感に沿うかもしれない。・・・・(以下略)
「天声人語」から


● 100歳の心とは?
100歳近い人の心の内には、70代ごろまでの人とは異なる「幸福感、「老年的超越」と呼ばれる心が存在するそうだ。
「老年的超越」はスエーデンのラルス・トルンスタムが提唱した概念で、85歳を超えるとそれまでの価値観が「宇宙的、超越的なもの」変わっていくという。
思考に時間や空間の壁がなくなり、過去と未来を行き来する。
自己中心性が低下し、あるがままを受け入れるようになる。
自分をよく見せようとする態度が減り、本質がわかるようになる。
とのこと。
 日本での調査でも70代と80代を比べると、「ありがたさ」「おかげ」の認識、社会的自己からの脱却、無為自然(あるがままをうけいれる)、が増えるとのこと。
 できないことが不幸感が高まると思いきや、自分自身をとらえ直し、不幸感が弱くなり感謝の気持ちが高まっていく、そうですよ。
(the GLOBE 1月7日号 より)

● 准高齢者
 先日書いたように「高齢者は75歳以上」とする提言があった。
その中で「65~75歳は准高齢者」との区別が示された。提言によれば前期高齢者(65~74歳)は「高齢者の準備期」と位置づけ「准高齢者」と名付けたとのこと。
 「准」も「準」も「ジュン」と発音し、意味も「なぞらえる」{次ぐ」はほぼ同じ。いくつかの漢和辞典には本来は「准」は「準」の俗字とある。
一般の用例で見ると「準」は準会員、準公務員、準決勝、準急など広く使われる一方、「准」は准尉、准士官、准将、准教授、准看護士などやや限定的
 どうもワーキンググループの方々が学者ということもあって「准」という字になじみがあり抵抗がなかったのが「准高齢者」との命名の経緯のようだ。

 「ことばの広場」の奈良岡さんが「准」か「準」かも気になるが、この世代の人を「おじいさん」「おばあさん」と呼ぶのか「おじさん」「おばさん」と呼ぶのか、元気で若々しい人が多いのだけに悩ましいですね、書いておられた。
 ・・・そうですね~若くみられるのはいつまでもうれしいことなので「おじさん」「おばさん」呼んであげた方がいいんじゃないでしょうか。
「ことばの広場」より


● カーボンインク
悠彩会展での質問で多いのが筆記用具だ。絵を描いておられる方が多いので筆記用具や紙が気になるようだ。
鉛筆はステッドラーの8B、インクは耐水性のインク、おすすめはプラチナのカーボンインク。(1500円)
プラチナのHPには「
発売 2001年5月、当時好評だった顔料の『カーボンインク』が今でも最も黒色が濃くでていることもあり 漫画家や漫画愛好家が、現行のカートリッジを分解して壜にためて使用されているという声が多く、ボトルタイプとして製作したのがはじまりです。」と書いてある。
耐水性なのでにじまないので水彩スケッチの筆記用具としてもよい。万年筆の中で固まる可能性があるかもしれないと思って僕は事前に補充して使っているが、今まで固まったことはない。