イスタンブール スケッチ走り描き帳(1998.04.25〜05.02)

 暑い夏の日々が続くとスケッチに行くのが億劫になってきた。
と言って、毎日祇園祭の絵じゃあさびしいし、見る人をがっくりさせるだろう。
何かいい素材はないだろうかと思いついたのが、イスタンブールでのスケッチだ。スケッチに行かない合間はそれらでお茶を濁そうかと思っています。

今から16年前、1998年4月25日から5月2日までKJ君と2人だけのイスタンブールスケッチに出かけた。
その時のスケッチや走り描きしたものを「ISTANBUL走描き帳」にファイルした。しかし、当時はパソコンもしていないし、このHPを開いてからも容量も少なかったのでごくわずか載せているだけになっている。
今から見ると幼稚な絵も多いが、そんなことでこの暑い日々にHPに載せるとともに、も少し整理してみることにした。

当時のメモをみると、紙はアルシュF10(荒目と細目)36枚、F3サイズのCOTMANスケッチブック6冊、はがきサイズのメモ用紙を持って行き描いている。また絵具は当時はペリカン24色を使っていたようだ。そのためか今から見ると少し落ち着きのないあでやかな色合いになっている


右の地図が歩いたルートとスケッチしたポイント(マル印)の地図。ホテルは旧市街にあり地図の左下の青丸だ。
(2014.07.25 記)

001  ブルーモスク
走描き帳によると、上のブルーモスクの絵は初日(04.26)は鉛筆描きのみで、後日(4.29)再度来て着色している。
また、「イスタンブール走り描き帳」のコーナーには表紙絵に載せないものも掲載する予定ですのでご笑覧下さい。
 002 走描き帳の表紙
分厚いファイルに資料も含め納まっている。

003 出発-1 関空出発ロビーで
JAL関空発11:10でイスタンブールへ
 004 出発-2 関空50番ゲートで
待っている時間は退屈な時間、そんなときに乗客を観察するのも面白い

005 出発-3 飛行機の中で
機内食はいつも描いている。
メモには、着色していると若いウエイターがワイフを描いてくれと言って写真を持ってくる。1枚描くと、すると別の女性が子どもを描いてくれと持ってくる。次に娘を描いてくれと写真を持ってくる、と書いてある。

006 出発-4 機内食を描く 
何もすることがないので機内食を描いてみることになる。このあたりから、描くのは「ひまつぶし」って言葉がふと浮かんだのかもしれない(^.^)

007 ホテルに到着 レストランでぼられた?
ホテルに到着しすぐにホテルの前のレストランに入ったらワインはないとのことで、ワインのある店に案内された店がここ。食事をとりながら食べたものをすべて描いたのがこの絵。
料金は5,400,000TL(概ね2,700円)この絵の右のページにレシートを貼って店をすると、店の男が慌ててレシートを返せというようなことを言っている。レシートを返した。どうもぼられた料金だったために知られるとまずかったしょうだ。

008 Yeni Camii(イエニ・モスク)を描く-1
 回教寺院(モスク)のことをCamii(ジャミー)と言っている。初日(4.26)はガラタ橋の方に行くが小雨でこのエイエニ・ジャミーを描いた。このガラタ橋の傍にあるジャミ―で、すごく引かれたジャミ―で何枚か描いている。(この絵は29日に描いたものかもしれない)。また帰ってからも何枚か描いている。

009 Yeni Camii(イエニ・モスク)を描く-2
この絵は帰ってから描いたもののそのうちの1枚だ。

010 Yeni Camii(イエニ・モスク)を描く-3
F3サイズのスケッチブックにはこんなメモスケッチをしている。

 011 Yeni Camii(イエニ・モスク)を描く-4
これも帰宅してから描いたイエニ・ジャミ―です。右下にサインがあるところをみると展覧会に展示した絵だと思う。

012 Yeni Camii(イエニ・モスク)を描く-5
この絵は木炭紙に鉛筆で描き、パソコンで空の色を加えたもの。

013 Ayasofya(アヤ・ソフィア) 
1階から見上げたもので、天井修復中での足場がある。

014 Ayasofya(アヤ・ソフィア) 
2階回廊から(4/2614:25に描いている)

015 トラムの中で若い娘さんを
ホテル近くからトラムに乗ってSultanahnetまで行く。大学があるようで若い娘さんによく出会ったがこの時描いたもの。

016 DOYDOYで昼食
4月26日はブルーモスクの近くにあるレストランDOYDOYで昼食。そのとき食べたものをメモスケッチしたもの。

017 ブルーモスク
F3サイズのスケッチブックに描いたブルーモスク。この日は小雨でかなり動きが鈍いようだ。

018 トプカプ宮殿
アヤ・ソフィアからトプカプ宮殿に行くとき庭で描いたもの。

019 夕食(4月26日)
KJ君と話をしながらスケッチ帳に料理や店員や客を描く。
画材用具のメモをみると筆記用具はスケッチ帳はピグマペンで描いている。また、大判の絵はステッドラーEB(現在の8Bに似た濃さと柔らかさだ)を芯ホルダーに入れたものを使っている。
 020 夕食
お金を払ったあと店のガイド役が俺を描いてくれというので描く。ちゃんと彼のサインがある。

021 ホテルでの朝食スケッチ
この絵は4/26日の朝食の時の絵。ホテルの中でもいつもメモスケッチ帳を持っている。

022 ホテルでの朝食とトラムの中の人々
この絵は4/27日の朝の様子。ホテルで日本人の新婚さんを見かける。また、下はトラムの中での様子

023 アジアサイドのユスキュダルに船で行く
2日目(4/27)はガラタ橋近くの桟橋から船でボスボラス海峡を渡ってユスキュダルに行く。上はボスボラス大橋、下はガラタ橋と新市街の方をメモスケッチ。

024 ユスキュダル船着き場のモスク-1 MIHRIMAH
イスタンブールは大きくブルーモスクなどがある「旧市街」とボスボラス海峡を挟んで北に位置する「新市街」、そして「アジアサイド」と呼ばれるところに分かれる。
スケッチ2日目(4/27)はガラタ橋近くの船着き乗り場から江利チエミが唄っていた「ウスクダルはるばる尋ねてみたら・・」で知っていたユスキュダルに行くことにした。
この日は上の地図の丸印でもわかるように5ヵ所スケッチしたようだ。
その中でも最もお気に入りがこの絵。多分ミハリマハ(Mihrimah)と呼ばれるモスクだと思う。


025 ユスキュダルのモスク-2
上の絵は船着き場から少し住宅地の方に入ったところにあったモスクだ。名前は書き込んでいないため不明だ(多分ガイドブックににも書かれていなかったためだろう)。
このあたりに来ると観光客もおらず静かな住宅地のモスクという感じがする。


026 ユスキュダルのモスク-3
この絵も住宅地の中のモスク。

027 ユスキュダルのモスク-4 SemciPasa
現地で描いた絵が見つかったのでメモスケッチのものから変更しました。

028 ユスキュダルのモスク-5


029 ユスキュダルから帰る船の中で
 トルコはアジアだ
上の絵を描いていたらひげをはやしたひまな男たちがたくさん集まり取り囲む。
絵と建物を見比べ、ここが描いてないと指摘する。描き込むとうれしそうにする。移動しようとすると見ていた子どもたちが集まり椅子を持ってくれたり何とも親切だ。
この時だけでなく、道端で描いていたら子どもたちがどっと押し寄せ警官がピッ・ピィ!と。大変な騒動になった。

このようなトルコはアジアだなあと実感するこんな光景にしばしば出会った。
フランスなどヨーロッパで描いているとほとんど人は集まってこない。人の趣味でしているに迷惑をかけていけないと思うのか、まずこんなことはことはない。

また、これはトルコがイスラムということもあるのだろうが、レストランでもウエイトレスはほとんど見かけない。ボーイばかりだ。

また、街の中でも学生のような人を除いてあまり女性を見かけない。なんだか「暇な男と働き者の女」なのかなあと思ったりもした。

030 シルケシ駅とオリエント急行

031 シルケシ駅とオリエント急行-2
シルケシ駅の外観を大判に描いたのだが見つからない。16年も前になると、そんなことは起こっても仕方ない。

032 ホテルの近くで夕食 (4/27)
 033 トラムの駅で待つ人々 (4/28)
28日、この日は新市街との方に行ってみようということでトラムに乗ってゆく。美しいスカーフをしているのでついつい描いてしまう。

034 トラムを待つ人

035 ガラタ塔から-1
4月28日、スケッチ3日目はガラタ橋の東側・新市街地にの方に行くことにした。トラムでガラタ橋へ。
橋では釣り糸を垂れている男たちでいっぱいだ。
ガラタ塔は少し坂を上ったところにあり高さ67m。上の絵は、エレベータで登って展望台のような階から外に出てスケッチしたのがこの絵だ。今頃の写真を見るとレストランになっているようだが、朝早かったためかどうもレストランだったという記憶はない。



036 ガラタ塔から-2
ここでのスケッチは印象的なようで帰ってからも上の絵のように描いている。

037 ガラタ塔から旧市街地方面を
上の絵はガラタ塔から旧市街の方をスケッチ帳に描いたものだ。
今から思えばこの方角を大判に描けばよかったのにと思うが、残念ながら描いていない。

038 ガラタ塔へのチケットの周辺の写真
上のガラタ塔のチケットの中に張り付けたメモを見ると「最上階にはレストランやナイトクラブがあり、夜になるとベリーダンスや民族ダンスなどのショーが行われている」とあるから、僕たちは気づかなかっただけのようだ。

039 トルマパフチェ宮殿の衛兵を描く

040 トルマパフチェ宮殿
ガイドブックによると、この宮殿は1853年に建てられたものだ。
カメラも絵具も預けることになって色も付けられず、宮殿の中には入らなかった。修学旅行生のメッカのようでたくさんの子どもたちだ。そんなことで子どもたちを描いてやったり、右上の絵のようにまったく微動だにしない衛兵を描いたりして楽しんだようだ。

041 4月28日の移動ルート
毎日、歩いたルートやスケッチしたところを描き込んでいる。

042 トルマパフチェ宮殿そばのモスク
この絵は宮殿の前のジャミ(モスク)。大判に1枚描いたと思うが見つからず、スケッチ用のこの絵のみがある。「猫が近寄ってきたのでサンドイッチをプレゼント」、「サンドイッチとコーヒー」と書いているのでこのあたりで軽い昼食をとったようだ。

043 修学旅行生などをスケッチ
この絵は子どもたちが描いてくれというので描いたもの。右上の「少女はなかなか美人」、「先生がすみませんという感じで描き終わるのを待っている」とメモっている。

044 金角湾から旧市街地を
ガラタ橋とアタチュルク橋の間の海岸に座って金角湾の向こうに見える旧市街地の方を大判に描く。


045 新市街地で撮った写真より
右の絵は新市街地で撮った写真をもとに最近メモスケッチしたもの。とにかくどうしてもモスクばかりが目立ちほとんどがモスクの絵になっている。

046 ヴァレンスの水道橋
046のメモ
左の絵の中に書き込まれたことは概略こんなことだ。
「宮殿の 外で1枚描き歩いてガラタ橋の方へ。途中で別のCamiiを描き、ガラタ橋近くのマクドナルドへ。世界中同じ食べ物だ!。そして、海沿いで旧市街を1枚描く(No044)」
「水道橋近くのジャミィの中で1枚描く。修復中だがなかなか良い教会だ。教会の人がKJ君にカッターがあるかと、ボール紙を切る。KJ君も手伝う。そのあとホテルへ。

047 4月28日の夕食
左上はピラフをブドウの葉でまいたもの、僕は美味いと思ったがKJ君は駄目らしい、と書いている。2人で6,850,000TL=約3,400円だった。

048 レストランのボーイや客を描く
だいぶ街になれたようで、29日はKJ君とは別行動で、PM3時にレストランDOYDOYに集合ということになる。
   
   
   
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